Duduk From Japan – Yas.Tarumi's Official Web Site –

アルメニア共和国の民族楽器「ドゥドゥク」演奏家 兼 販売活動者 樽見 ヤスタカ の公式Webサイトです。


アルメニア滞在記録 in April 2025
ドゥドゥクの故郷へ渡航。
行きたい所、会うべき人の
もとへ行きました。その記録を
9章に分け、お伝えします。


奏者が調整・販売するドゥドゥク(Duduk)の唯一の専門店(相談もできます♪)

2018年からドゥドゥクの販売活動を行っています。当時から心掛けているのは、
「1本1本丁寧に検品・調整後に出荷すること。安易に即時出荷を行わないこと。」です。
ドゥドゥクが入手困難な楽器だったのは過去のこと。しかし、奏者自身が一点一点に対して
「たとえレコーディングやコンサートに多用しても恥ずかしくない確実な楽器かどうか?」を、
厳しく判断・選別して出荷する店舗は”極めて少ない”のが現状です。
この管楽器に心から取り組みたくなった時、当ストアは出来る限りの手助けを致します。
リリースしたCDもこちらから購入可能です。


ブログはこちらからどうぞ

ライブの告知や振り返り、
制作準備の進行報告、
入荷したドゥドゥク、趣味、
季節の便りなどがメイン。

ドゥドゥクってどんな楽器なのか、実際目線でお話します。

私が始めた頃と比較すると、ドゥドゥクはより情報の多い楽器になりました。
その中で、樽見ヤスタカとして、あえて、これからドゥドゥクをお話をして、
本サイトに遺しておくならば、どんなことをお伝え出来るだろうか?
過去にSNSにおいて書いたことも含めて、このページ内に落とし込みます。

樽見 ヤスタカとは?(初めてご覧になられた方へ)

ドゥドゥクとの出会いは20代晩期。早いスタートとは言えないのかもしれませんが、
この音色の可能性が何より大事でした。だから今も続いています。
“奏者”よりも、”吹いたり販売してる人”の方がしっくりきます。


アルメニアに滞在した期間は4月の中旬~晩期。ちょうど、
虐殺追悼セレモニーが執り行われる日とも重なっていました。

当日のセレモニーがどんな状況なのかは知らず、
ガイドのAniさんにセレモニー当日に会場を訪れることが出来るか?と
尋ねたが「かなり混雑するので控えておいた方が良い」とのことでした。

その状況を目の当たりにしたのはまず2日前から。
泊まった宿でテレビを観ていると、追悼セレモニーを前にした特番が
ずっと映っており。前日になると、夕方からエレバン中心街の
大通りで超・大勢の方々が行列を作ってゆっくりと行進している。

人々の大行進だけでなく、街宣車や警察も出動して
感情的な様相を呈していました。世界中に住む、アルメニアに
ルーツを持つ方々がこの日にはエレバンに集結して
夜から徹夜の大行進をしてセレモニー会場のある、
アルメニアン・ジェノサイドミュージアムまで練り歩きます。
なるほど、控えておいた方が良いとはこのことだったのかと納得した。

そのため、セレモニー当日の4月24日の会場訪問は避けて、
4月26日に尋ねました。それでも参列者は後を絶たず。

地元の有志の未成年たちが参列者の献花用の
お花の仕分け、片付けを積極的に行っている。

子供たちはアルメニアの国旗を持ちながら、
セレモニー会場まで練り歩いていました。

例えば、この子達の年齢を考えると、
実際に1915年の狂気の沙汰の時代を目の当たりにしたのは、
4~5代前の方たちだ。そこで見た惨状・過去があって
今があることが、実の親からだけではなく、
周りにいる大人からも伝えているから
こういったことが出来るんだなと感じました。

20世紀からある建物を大事にずっと使い続ける姿勢。
世紀を超えて培ってきた伝統模様や民族衣装を今でも多くの方が
大切に身に着けていること、民族衣装のファッションショーまであることも。

片や、最新のテクノロジーも良いところはぐんぐんと取り入れて、
古来の技術と結び合わせることも持ち合わせるアルメニア。
これらは全て、過去に生きた人々のことを忘れずに
生きることがスタンダードなテーマになっているのだなと。

受け継がれてきたものを伝えること。
そこに重きがある国だと腑に落ちながら帰路につきました。

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